昨月9月頃から、九州、そして西日本を中心に今年は深刻な「トビイロウンカ」による稲作への被害が報じられています。
ですがこの「トビイロウンカ」、よくよく調べてみるとかなり奥深く、そして興味深い存在なのです。
そこで前回、今回、そして次回と、三回にわたってこのトビイロウンカについてのお話をしていくとしましょう。
二回目の今回は、そんな「トビイロウンカはどこからやってくるのか」というお話をしていきます。

 

改めまして、皆様こんにちは。
高薙食品衛生コンサルティング事務所です。
ここだけしか聞くことの出来ない神髄中の神髄、
「プロが本気で教える衛生管理」を、毎日皆様にお教えしています。

「享保の飢饉」の原因は何か

(こちらは三部構成の「第2編」目になりますので、もし「第3編」から来られた方は、まずは「第1編」から順に読んでいってください。)

 

「グリーン・レボリューション(Green Revolution)」。
それは、1960年から1970年、つまり今から50年ほど前に行われた、世界的な農業技術改革でした。
いうなれば、ここからアジアの発展途上国の農業の近代化が始まったのです。

当時の先端技術革新による、主要穀物の品種改良。
それによる、飛躍的な生産量の増量。
そして世界的な食糧不足からの回避。
「緑の革命」とも呼ばれるそれは、第二次世界大戦後の近代化が各国で次々と進んでいく中、とくにアジアの発展途上国において果敢にも果たされていくことになります。
そしてその主導を担ったのが、他ならぬ「IRRI」でした。


BDDNews

「IRRI」、つまりは「国際稲研究所(THE INTERNATIONAL RICE RESEARCJ INSTITUTE)」。
かのロックフェラー財団によって1962年、フィリピンに設立された農業研究の国際組織です。
ちなみに1962年といえば当時、我が国日本では瓦礫だらけの戦後を終えて、高度経済成長期に突入。世界的にもやっと欧米先進国の仲間入りを果たしたころでした。

さて、この「IRRI」は1960年代後半、稲作において画期的な品種改良を実現することになります。
交配種米の開発と普及、です。

とういうのも、これまでのアジア発展途上国では、伝統的な、といえば聞こえのいい、生産量の少ないかなり原始的な農業がずっと行われていたのです。
しかし、人口増加による食糧難の危機が本格的にみられるようになるにつれ、稲作における品種改良や農業技術の先進化などによって、食料の生産量を大幅に高めることが世界的課題としても求められ始めていたのです。

そして、そんななかで1966年に生まれたのが、「IR8」。
台湾種とジャワ種を交配させた種IR8は収穫量が多く、急速に普及した。
これこそがまさにアジアにおける「緑の革命」の結晶そのものであり、故に人々はそれを「奇跡の稲」と呼ぶようになります。
なぜならこの「奇跡の稲」こそが、その後の東南アジアをはじめとする開発途上国の農業を大きく一新する、そのきっかけの一粒となっていくからです。

 

しかしながら。
そんな戦後最新農業テクノロジーの粋とすら言えるであろう「奇跡の稲」だって、そう簡単に生まれたわけではありません。
なぜなら、そこに行き着くまでには、様々な苦労や苦難が待っていた。
IRRIほどの、各国の優秀なブレインを集めてもなお、自然の猛威にはなかなか勝ち得なかったのです。

最初の苦難は、1962年の設立から間もない2年後の1964年に、早くも起こりました。
日本では「東京オリンピック」が華々しく開催されたこの年でしたが、しかし。
海を遠く隔てたフィリピンの稲作改良試験場では、稲が突如として次々に枯れ果て、農作試験ができなくなる、という謎の怪事件が勃発していたのです。

ある日いきなり、水田中の稲穂の、ある一角だけが円形の坪状にスコンと枯れてしまったのです。
そう、
ぽっかりと、まるで穴でも空いたかのように稲が枯れる怪奇現象が突然、起こった。
これはどういうことなのか。
これは一体、何ものによる仕業だというのか。
当初、各国から集められた一流の研究者は、しかし皆、何が起こったか判らなかった。
というのも、どの国の研究者も、こんな現象を自身の国内で見たことがなかったのです。

 

しかし、そんな中で唯一。
それがどういう病状であるかを理解していた研究者がただ一人だけ、そこにいたのです。
それは我が国、日本から呼ばれた研究者である、飯田俊武氏でした。
氏は、その原因を即座に理解し、こう主張しました。
これはいわゆる、「坪枯れ」である、と。

「坪枯れ」とは、何か。
それは、稲作においてトビイロウンカが生息している場合特有の現象です。
水田のなかで急激に増えたトビイロウンカが、稲の茎から汁液を吸ってしまい、そのせいで局所的に、そして集中的に稲が枯れてしまうのです。
そう、稲を枯らせていたものは、トビイロウンカだったのです。


山口県

しかも「坪枯れ」が怖いのは、この現象がある日いきなり前触れもなく発生するのと、しかもこれが数日内にも水田内に飛び火し、それこそあっという間に広がっていく、ということです。
かくしてIRRIの水田には、みるみるうちにトビイロウンカが広がり、そして坪枯れが飛び火し、次々に多くのイネが枯れていったという。
それを、飯田氏以外の海外の研究者はわけも分からず、成すすべもなく呆然と立ち尽くしている他になかった。

ではなぜ彼以外の研究者が、「坪枯れ」を知らなかったのか。
そもそも、IRRIの各国研究者の中には、トビイロウンカの被害を知らないものばかりだったのです。
唯一知っていたのが、韓国、そして歴史的にこれまでトビイロウンカに苦しめられてきた日本だった。
前回の話を思い出してください。
日本人は、古来、稲をめぐってトビイロウンカと戦ってきた民族なのです。

 

「坪枯れ」とは、そのトビイロウンカが大発生している特有の現象です。
それを見逃すわけがない。
尤も中国がここに参加していれば、話は違ったのかもしれませんが。
いずれにせよ、これこそが近代における熱帯アジアでのトビイロウンカ問題の最初の一歩となったのです。
そしてこれ以後。
東南アジアでは、ここから人間とトビイロウンカとの終わりなき戦いが始まることになります…。

アジアに広がるトビイロウンカ

そうこうしている間にも、東南アジアでのトビイロウンカの被害は、またたく間に大きく広がっていきます。
数年後の1972年には、まずIRRI場内でトビイロウンカが爆発的に大発生。
もはや大発生といってもいいような状態で、手がつけられないほどに至ってしまっていた。

さらに1970年代前半には、この問題はそんな局所的な話に終わらず、広く拡散。
すでにトビイロウンカは、フィリピン全土にまで広がってしまっていたという。
そう。
食糧難問題においては「奇跡の稲」とも呼ばれた「IR8」でしたが、しかし自然の世界においては未知の敵であったウンカには滅法弱かったのです。

勿論、IRRIもこの状況に指を加えて見ていたわけではない。
品種改良を繰り返し、トビイロウンカへの抵抗性を備えた強い新種を次々に生み出していこうとしたのです。
しかし結果は決して芳しいものとは言えなかった。

 

さすがにこの頃になると、ようやく国際的にもトビイロウンカへの注目が高まってきます。
結果、これまでノーマークだったトビイロウンカはここにきていきなり、東南アジア屈指の最重要害虫へとランクインすることになるっていった。
というのも、それまでトビイロウンカは、この熱帯アジアではそれほどまでに大きな被害を生み出すこともなかったため、重要な害虫とはされていなかったのです。
それがいきなり数年でこのような事態になってしまったのですから、事態はいよいよ深刻というもの。

では何故、そんなこれまでさほど重要視されてこなかったトビイロウンカが、ここにきていきなり急激に問題となっていったのか。
確かにIR8がトビイロウンカに弱いとはいえ、他にも原因はあるのではないか。

IRRIの結論は、こうでした。
農業革新、「緑の革命」で進めていった、農薬の劇的な進化。
これによって、クモやアメンボなどトビイロウンカの天敵である虫までも一掃し、駆除してしまった。
そこで生態バランスが崩されトビイロウンカの生息の抑制がきかなくなり、歯止めを失って急激な増加が進んでしまった、と。
つまり。
「緑の革命」は農業技術の革新とそれによる生産性の著しい上昇という人智の恵みを確かに与えたが、その一方でトビイロウンカという新たな自然の弊害をもその一方で許してしまった、というわけです。

トビイロウンカはどこから来るのか

かくして東南アジアに広まったトビイロウンカですが、ではこれがどうして日本の問題と関係があるのでしょうか。
それが前回最後に振った話と繋がります。
そう、
実は、日本でこうして問題になっているトビイロウンカというのは、日本で生まれて発生しているわけではないのです。
なんと、この東南アジアから飛んできているのです。

実は、トビイロウンカは、日本の寒い冬を越せません。
だからもし秋が終わり、冬になり、そして日本に残っていればトビイロウンカは越冬出来ずに死んでしまうのです。

ええ!?
そうなの!?
それじゃあなんでこんなものが時折、日本でこうしてわんさか多量に発生して問題になるのか。
その理由は、トビイロウンカは東南アジアの水田から始まって、それが移動しながら倍々ゲームで次第に数を増させて大群で飛んでいき、そしてこの日本の水田を最終終着点として死んでいくからだったのです。

前回に触れた農業書「九州表防虫等聞合記」にも書かれていたように、南風か吹けばトビイロウンカが増えること自体は、すでに江戸時代から判っていたことだった。
しかし、こいつらが海の向こうから飛んできているのだということをぼくら日本人が知るのは、それからずうっと後、それこそ戦後近代化が進み始めた1960年代になってのことでした。
そう、IRRIが設立され、トビイロウンカが国際的に研究されるようになっていった1960年代。
ようやくこの頃になって、色々なことがわかってくるのです。
日本の暗黒農史、飢饉の歴史でもあったように、これまで幾度となく苦しめられてきたこのトビイロウンカは、どうやら東南アジアにいたものが日本まで飛んできているのだ、という事実を…。

東南アジアから飛来するトビイロウンカ

さて、ここで皆さん。
ちょっと不思議に思いませんか。

トビイロウンカといったら結構小さな虫です。
いくら何でも、そんなに飛翔能力が高いとは思えない。
そんな小さな虫が一体、はるか離れた東南アジアからはるばる大量に飛んでくる。
そんなことがあるのか?と思いませんか。
いくらなんでも、東南アジアから日本にはさすがにめちゃくちゃ距離もあるし、あんな小さな虫が自力で海を渡って大量に飛んでくるなんて、ちょっと考えられない。
どうやって、そんなものが飛んでくるのか、と思いませんか。

結論を先に言いましょう。
なんと、こいつらは地上数千メートルもの上空をジェット気流にのって飛ばされて大量に日本にやってくるのです。
ええ、マジかよ!?


クミアイ化学工業

トビイロウンカは、元々熱帯アジア原産の昆虫です。
だから冒頭の話のように、もともとはインドネシア諸島、マレー半島、インドシナ半島などに多く生息していた昆虫です。
トビイロウンカが冬でも死なずに越冬できるギリギリの場所は、せいぜいベトナム北部の紅河流域や、せめて中国南部くらいが限界なのです。
熱帯の昆虫なのだから、それ以上北上すれば冬を越せずにやがて死んでしまうのです。

しかし、東南アジア、とくにこのベトナム北部で生まれたトビイロウンカが、中国南部、そして中国中部へと移動してまた数を増やし、さらにそこでさらに増えたものがジェット気流にのって、今度は韓国や日本などの温帯地域に飛んでくる。
それが例えば今年のような、何十年に数回といったようにある周期的に、しかしとんでもない多量の飛来となることがある。
これこそが、日本で時折周期的にウンカが大量発生するメカニズムだったのです。
すげえな、トビイロウンカ!

では実際に、どのようにトビイロウンカは東南アジアから日本へと、飛んでくるのか。
そこには季節風、「南西モンスーン」との関係があったのです。
それをもう少し詳しく追ってみるとしましょうか。

梅雨前線と南西モンスーンによって運ばれるウンカ

トビイロウンカの飛来源である東南アジアなどでは、日本などと違った熱帯気候ゆえに1年中気温が高いため、(水不足にならないところであれば)年に二回収穫ができる「二期作」が可能です。
この場合、第一期目は主に1月くらいに田植えをし、6月に収穫します。そしてその後、二期目が行われます。
つまり一年を通じて稲作が行われている。
これがトビイロウンカが冬を越せる理由の一つです。

これによってトビイロウンカは越冬を果たし、そして稲がすくすくと育っていく春先にかけて増殖します。
その後、稲穂が実り始める5月くらいには、その生息がピークを迎えます。
これがトビイロウンカの大増殖の始まりです。

ちなみに東南アジアは、全世界の稲作面積の約70%を占めており、その規模が他地域とは全く違います。
(中国が次いでいる、とのこと。ちなみに日本は3%程度です)
つまりはそんな広大な水田でトビイロウンカの繁殖のスタートが切られる、ということになります。

さて、この5月の東南アジアでのトビイロウンカの生息ピークのタイミングに、何が起こるのか。
モンスーンの雨期が始まる4~5月。
そのころアジア全域に生じる「梅雨前線」とともに吹き付ける強力な季節風「南西モンスーン」に飛ばされ、トビイロウンカは隣接している中国大陸南部へと移動するのです。


(「動物百科」寒川一成原図)

さてここでちょっと、頭の中にアジアの地図を思い浮かべてください。
梅雨になるときに、「梅雨前線」ってあるじゃないですか。
そのもくもくとした低気圧が、中国南部から東西へとわたって広く、広―く、広がっていて、でそれがやがて時間をかけて日本へとゆっくり、梅雨時期にかけて北上し、向かっていくところを想像してみてください。
イメージできましたか?
(上の図で、中国から関西にかかってモクモクとかかっているのが梅雨前線。これが南から北上してくる)

で、この梅雨前線に向かって、「南西モンスーン」という強力な季節風が南からビューンと吹き付けます。(上図矢印)
つまり、中国南部に向かって南西モンスーンが、熱帯側の南から東に向かって流れ吹いていく。
どうして西に向かないかというと、西には大きなチベット山脈があって、それを防いでいるからです。
これが実は、曲者なんです。
だって、その東の先には地理的に、何があるか。
そう、
九州や西日本といった日本の南西部があるではないですか…!


山陽新聞

中国から日本へ移動するウンカ

さて、広大な東南アジアの水田で冬を越し、活動をはじめ、そして増加したトビイロウンカは、大陸を吹く強力な季節風「南西モンスーン」に運ばれ、5~6月くらいから中国大陸南部に広く広がっていく。
これがトビイロウンカの「1次移動」でした。

ではこのころ、中国南部では何をしているのか。
中国南部の稲作もまた、年二回収穫の二期作が可能です。
こちらでは東南アジアからおよそ一か月遅れで、2月に田植えを行い、7月以降の刈り入れを目指してイネは6月くらいにすくすくと育ちます。
当然、ここでもトビイロウンカがよく育ちます。
つまりトビイロウンカは、最も稲が育つ時期を東南アジアから中国南部へと移りわたることになるのです。
東南アジアで増えたトビイロウンカがさらに中国暗部にきて増殖を進めるのだから、たまったもんじゃない。

しかしたまったものでないのは、中国南部だけじゃありません。
東南アジアには劣るといえど、中国中南部は世界二位の稲作面積地域。ここに点々と広がって、トビイロウンカはさらに増えていくのです。
これらが次はどうなるのか。
梅雨前線がさらに6月を進めて北上していくと、それにともない「南西モンスーン」も北上していきます。
そしてこれが日本に吹き付けます。
そのころになると、中国に移動したトビイロウンカもどんどんと増えまくっているでしょう。

するとこれが、どうなるか。
日本の梅雨入りにあわせて、中国南部の水田で数世代かけて増えまくったトビイロウンカが、今度は日本に向かってくることになるのです。
これがトビイロウンカの「2次移動」です。

いやああああ、
やめてえええ!
こないでええーーーー!


シンジェンタ

まとめ

ふう。
ちょっと長文になってしまいましたが、トビイロウンカが日本に襲来してくる経緯がお分かりになったでしょうか。
ぼくも論文や研究結果などを読みふけって、その面白さに夢中になってしまってました。

いよいよ最後は、また日本に戻りましょう。
どうして今年、この日本でトビイロウンカが爆発的に増えたのか。
それについてお話していくとします。

以上、このように、このブログでは食品衛生の最新情報や知識は勿論、その世界で長年生きてきた身だから知っている業界の裏側についてもお話しています。
明日のこの国の食品衛生のために、この身が少しでも役に立てれば幸いです。

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