「ルール」。
HACCP、5Sなど食品衛生を語る上で決して避けて通れないのが、この「ルール」です。
ですが、これが不思議なことに全く、といって語られない。
というわけで、誰も教えてくれない「ルール」について今日はお話させていただきます。

改めまして、皆様こんにちは。
高薙食品衛生コンサルティング事務所です。
ここだけしか聞くことの出来ない神髄中の神髄、
「プロが本気で教える衛生管理」を、毎日皆様にお教えいたします。

 

今日のお話の概要
  • 絶対神「安全安心」のもとで、「ルールとは絶対的なものである!以上、異論は認めない!」が完全にまかり通っているのが、この食品衛生である
  • 絶対神「安全安心」による「いいからルールなんだから従えばいいんだ」教は、「ルール以外をやらない」を生み出すので注意が必要である
  • 「ルール」の遵守には「認知」「理解」「容認」「共有」の4ステップが重要である

 

 

何故か語られない「ルール」というもの

食品工場や店舗での衛生管理をすすめる上で、「ルール」というものは欠かすことができないものです。
食(製品・商品)の安全安心のために何か取り決めを作り、さあこれを進めていくぞ、というのが「ルール」です。

ですが、この「ルール」というもの自体について、まともに話されたことをぼくはこの20年以上業界にいて、一回たりとも聞いたり見たりすることがありません。

一回も、ですよ!?

20年以上、毎日情報収集を欠かさず行い、講習会やセミナーなどに参加し、他業者やお偉い先生方と交流し、ネットでも情報をチェックし、コロナ下ですら現場を廻り、またかつては最大手PCO企業のコンサル部門にも所属してきたぼくが、一回も聞いたことがありません。

ありえなくないですか?

そうなんです、
この業界では何かにつけやれ「ルール」だ「ルール」だと簡単に言う割に、しかしこの「ルール」というものについてまともに考えられる試しが全く見たことありません。

何故か。
今、当事者のぼくがベールを剥がします。

べりべりべりーっ!

食品衛生に君臨する絶対神

誰も言いませんが、食品衛生においては、実は「絶対正義」がおはします。
衛生管理世界の絶対神。唯一神。界王神様。
それが「食の安全安心」。

名付けて、「安全安」神です!

なので、この錦の御旗を掲げると、全てが正義になります。
「安全安」神さまのため、というと、ハハアーっと全てが従うべきものに色塗られます。

「いいからお前らは従え」「ルールはルールなんだ」
「なぜなら(俺がいる側の)”安全安心”は絶対正義だからだ!」
これは「安全安」神のお告げなのだー!どーん。

実を言うと。
これは企業の管理者側だけでなく、ぼくらのような外から食品衛生を語る立場からこそが、めちゃくちゃ便利です。
だって正しいんだもん。
それが絶対神だもん。
だから「安全安」神を利用したがるのです。

「安全安」神のために、「ルール」には従いましょう。以上。

実は、ぼくらはこれが一番楽ちんです。
それでもし神に逆らうものがいたら、こう「天罰」を言えばいい。

「では取引先が、貴方のような工場とは取引しないと言われたら、あなたはどうするのですか?」
「製品の中に虫が混入して会社の経営が傾いたら、それでもルールに違約しますか?」

こうやって絶対神、「安全安」神のもとで、「ルールとは絶対的なものである!以上、異教は認めない!」が完全にまかり通っているのが、この食品衛生です。

いやね、わかりますよ。
確かに「食の安全安心」は必要です。重要です。
そこに微塵の異論は、ありません。
ルールだってそのために必要なんです。重要なんです。
そこにも微塵の異論は、ありません。
マジで、本当に、心底、ありません。
事実、そう信じてぼくはこの道20年以上やってます。

でもだからといって、思考停止で「いいからルールなんだから従えばいいんだ」ってどうなのよ、とは思います。
思うどころか、よくありません。
んじゃ何がどうよくないかをお伝えします。

理想は「ルールの共有」

さて、こうした「安全安」神(の権威を振りかざして神の代理人を名乗る神官、工場長様)に捧げる「いいからルールなんだから従えばいいんだ」教を進めている工場・店舗では、不思議なことに共通点が存在します。

それは、「言われたこと以外をやらない」です。

ほんと、これ。
これが「いいからルールなんだから従えばいいんだ」教の最大の問題です。

普通、ここを清掃したら、こっちもやるだろ?
いやいや、これ直したら、こいつもどうかするだろ?
そんな状況に対し、必ず返ってくるのは「そこは指示されていません」「そこはルールにありません」です。
そしてそれに対し、管理者は「こいつらはやれと指示したことだけしかやらない」とグチをこぼします。

当然です。
そういう宗教を、教えを進めているのだから、当然の帰結として、そうなります。
なぜなら、「いいからルールなんだから従えばいいんだ」は、逆に言えば「ルールに従えば他はやらなくていい」となりがちだからです。

昔からイソップ童話に、こんな話があります。有名なレンガ職人の話です。

旅人が歩いていると、ある男がレンガを積んでいる。
何をしているのか彼に聞くと、こう答える。
「見りゃわかるだろ、親方の命令でレンガを積んでいるんだ。」
更に旅人が歩いていくと、また違う男がレンガを積んでいた。
何をしているのかこちらの男に聞くと、今度はこう答える。
「俺は、歴史に残る大聖堂を作っているんだ。」

何を況や。もうわかりますね。
「いいからルールなんだから従えばいいんだ」教が生むのはこうした「親方の命令でレンガを積んでいる男」です。

さあ、「食(製品・商品)の安全・安心」は必要だ、重要だ。
でも「いいからルールなんだから従えばいいんだ」教にはまって、「そこは指示されていません」「そこはルールにありません」に陥るのも避けたい。
ではどうすればいいのか。

そこで目指すのが、「ルールの共有」です。

ルールというもの

「ルールの共有」とはどういうことか。
これを話す前に少しだけ、改めて「ルール」についてちょっと考えてみましょう。

ぼくらが生きる社会は、目に見えない「ルール」がそれこそ無数に張り巡らされています。
「ルール」と聞くと、押し付けられて言うことを聞かされるイメージがあるかもしれませんが、そしてそれもルールのもつ力でも確かにあるのですが、「ルール」とはぼくらが不都合なく生きるための約束ごと、という面もあります。

おしっこをしたかったらトイレに行くのは何故ですか?
そこらへんに垂れ流すことの不都合を避けるためではないですか。
そこには便をしたかったらトイレに行く、という「ルール」が存在しますよね。
俺は人の言うことなんか聞かねえ!とロックに言う人は、そのルールを守らず自分のうちのリビングで脱糞するのですか?
(だったらすごいけど、それはロックのはき違えですよね笑)
トイレでおしっこをするルールを守るから、家の中が糞尿まみれになる不都合を避けているわけです。

外に出かけるには服を着て、靴を履く。
コンビニで商品を買うのにお金を払う。
人のことは殴らない。
全部、この世はルールで動いています。
世の不都合を避けるため、ルールをもうけ、守ることで動いているのです。

つまり「ルール」とは、人間同士の相互契約です。
そう、「ルール」とは「契約」の一つです。
互いの合意の上で取り交わされる取り決めごとが、「ルール」です。

 

その「ルール」の強度、有効範囲は様々で、ゆるいものもあれば、強い縛りのルールはやがて文書化され、規約に、更には国を有効範囲とした法律になります。
法を犯せば、捕まります。処罰されます。

つまり、ルールは契約である以上、契約が守られなければ、違約に対するそれ相応のペナルティを払う必要があります。
それが「ルール」という相互契約の最大といってもいいであろう特徴です。

「は、契約?互いの合意の上?俺は合意なんてしたつもりないぞ!」
そう言うかもしれませんが、ある集団に所属することに合意した時点で、その集団が作ったルールに従うことが含まれていることが多いものです。

一番大きな集団は、国家。
日本に生まれたら、日本の国家のルールである法律に従いますよね。
だから法律違反は、ルール違約のペナルティとして罰される。

会社に入る。
そうしたら、その会社のルールに従います。
その会社のルールを破れば、それなりの処分がくだされます。

なぜそんなルールがあるのか、といえばその所属集団におけるなにがしかのメリットがあるからです。
というか本来、その集団のメリットのために作られるのが、ルールというものです。
ルールを破れば、所属集団のメリットが失われる。
そこで、所属集団が集まって約束事を作り、これを守ることでメリットを得ようとする。
それがルールというものです。

「食(製品・商品)の安全安心を守る」。
そうした食品メーカーである会社という集団のメリットのため、工場には衛生管理における多くの「ルール」が存在している、というわけです。
そしてそれを破れば、「食(製品・商品)の安全安心を守る」という会社のメリットが失われるから、この会社という集団に所属しているのであれば、ルールに従ってもらう。
ルールに従わないのであれば、契約違反のペナルティがくだされるだろう。

ここまでは別に宗教でもなんでもなく(笑)、全くもって正しいことです。

ルールの4ステップ

さて、それでは、そんなルールはどのように、各自に、そして現場で受け入れられるかを見ていきましょう。
それが「ルールの4ステップ」です。

あ、ちなみによくぼくの講習会で用いる以下のこの理論、完全にぼくのオリジナルです。
ですから、引用するならちゃんとウチをオリジナルソースとしてリンク元に書いておいてくださいね(笑)。

てことで改めまして。

どんなことでもそうですが、「ルール」の遵守には「認知」「理解」「容認」「共有」の4ステップが重要です。
何故ならば「ルール」も「法律」も本質的に、他人に何かを強いる「強制力」、つまりは権力や暴力と同質のものであり、またそれを守るという行為は、その「強制力」に従うことを認めることだからです。

これはいっくら素晴らしく美しい目的のためのルールでも、どんなに守るべきルールにおいても、基本的に同じです。
そもそも、「ルール」「決まり」「規律」というものは、その内容に関係なく、本質的に、元来的に、例外なく「そういうもの」なのです。

 

ルールの遵守の4ステップ
  1. 認知
  2. 理解
  3. 容認
  4. 共有

 

 

つまり、人は、ルールという目に見えない強制力を備えたそれがあることを知り(認知)、その重要性や必要性や罰則を知り(理解)、その強制力を許し(容認)、それを互いに守りあい、実行することで。それが自分が守るべきルールだと日常化、身体化し、当たり前のものとなって「共有」するわけです。

実際、もしあなたがある所属先のルールに従え、と言われたとき、このような過程を踏みますよね。

言い換えれば、ルールというものは、しっかり皆にそれが存在していることが「認知」され、またその目的と目標、その重要性や守らない場合のデメリットが「理解」され、だからやろうと「容認」され、そして皆がそうして守るべきルールだと「共有」されてこそ、果たされるものです。

ルールが守られないということ

では逆に、この4つのステップを踏まえながら「ルールが守られない」とはどういうことか、考えてみましょう。

 

ルールが守られない、とは
  • ルールが「認知」されていない
  • ルールの「理解」がされていない
  • ルールの「容認」がなされていない
  • ルールの「共有」がなされていない

 

ルールの「認知」がなされていない

まず、ルールがあることを知らない、ということがあります。
ルール自体の存在を知らない、という状況です。

例えば、そんなルールあったっけ、とか、あるいはルールが変更したのを知らなかった。
そのルールの範囲を知らされていなかった、など。
そうしたルール自体を知らない、知らないわけではないけれどよく伝わっていない、把握していない、という状態を「ルールの認知がなされていない」といいます。

ルールの4ステップにおける最初の「認知」でつまづいているわけです。
ですから、この場合、守るべき範囲の皆全員にルールを伝達し、またそれがわかるように表記しておく必要があります。

ルールの「理解」がなされていない

次は、ルールがあるのは知っているけれど、よく判らないという状況です。
ここでよくあるのは、ルールが曖昧だ、というケースです。
認知はされているけれど、理解がされていない。
ルールが複雑すぎてよく判らない、といったこともあるかもしれません。

またそんな重要なルールだと知らなかった、ということもままあります。
ルールの軽視、ですね。
これもルール自体は「認知」していたけれど、「理解」が浅かった、という状況です。

いずれにせよ、この場合はルールの内容、遵守事項をしっかりと伝え、理解してもらう、そして誰でもそれがわかるように明示する必要があります。

ルールの「容認」がなされていない

ルールがあるのは知っているけれど、守られていない。
こういうケースは非常に多いですよね。
ルールの形骸化、というやつです。

みんな守らないからいいと思っていた、という違反の横行。
ルールの強制力が弱く、働いていないケースです。

その他、違ったルールになっていた、なんてこともありえる話。
ルールの改変が行われている、
勝手なマイルールになっている、といった状況のことです。

あるいは、ルール自体にムリがあって守りようがない、というケースもあるかもしれません。
「悪法も法なり」と言われますが、この場合もルール側から見れば、容認されていない状況となります。

いずれにしても、この場合はルールに従うよう、あるいはどうすればルールが遵守されるようになるのか、どんなルールなら遵守出来るのか、現場とのコミュニケーションが重要になります。

ルールの「共有」がなされていない

ルールは守られているのだけど、渋々やらされている。
結果、決められたものだけしかやらない。

これは厳密に言えばルールは守られていますが、余り好ましいものではありません。
先の「いいからルールなんだから従えばいいんだ」教の産物ですね。
結果、現場のルールに対する厚釜化が生じ、ストレスが蓄積されていき、言われること以外やらなくなります。

この場合、重要なのは「教育訓練」です。
それらを経て、ボトムアップの体制へと調整していき、ルールに対して当たり前のものと日常化、身体化していくように向けていくことが重要です。

「モラル」ってなんだ?

最後に、少しだけ「ルール」と「モラル」について触れておきます。

例えば、衛生管理上のルールを守らない人のことを考えてみましょう。
決められている清掃も、整頓も、手を抜く人がいる。
まあ、どこにでもいそうですよね。

そのとき同じ部署の人が上長に伝えます。
「誰々さんが、清掃してくれないのですが」と。

実はここには、2つの視点が重なっています。
一つは、誰々さんが「ルールを守っていない」という、「規則」に対する違反に対するもの。
そしてもう一つは、「誰々さんにはルールを守る気がない」という、心、姿勢のあり方に対する指摘です。

こうしたひとのマインドにおけるありように対して、しばしば「モラル」という言葉が持ち出されることがあります。

でもこれは「モラル」ではありません。
何故でしょうか。

ルールは「規則」であり、モラルとは「規範」である

「モラル」とは何か。
結論を先に言えば、「ルール」とは「規則」であることに対し、モラルとは「規範」です。
つまり、「こうこう、こうあるべきだ」というものです。

もう少し言うなら、「モラル」とは「倫理・道徳」です。
つまり「モラル」とは、人の善悪における良き行い、良き心がけ、人道的といった「良いこと」の総体です。
しかもそれは(長くなるので余り詳しく言いませんが)、どちらかといえば「内発的」、「内なる正しさに基づく」良いことだったりします。
(これが「倫理」です。一方、「道徳」はむしろその集団性に関わる外発的な良いことなのですが、まあここでは余りに道が外れてしまうので、敢えて触れないでおきましょう)

要するに、モラルのあるなしは、そのルールの遵守云々には基本的に関係がありません。
そもそもルールとモラルは別に対にもなりませんし、基本的に別物です。
ですから「ルール」を守らない誰々さんのモラルが低いのか高いのかは、全く関係のない話です。

よって、ルールの違反が横行している現場は、「モラル」がないのではなく、ルールに対する4つのステップのどこかがおかしいだけです。

ルールを守らない場合にどうすればいいのか

このように、「モラル」を高めようとしても、ルールを守るかどうかは全く関係ありません。
というか、高めるべきは「モラル」ではありません。

ルール違反の問題は、ルールの問題であり、モラルの問題ではありません。
なので、「ルール」の問題として扱う必要があります。

ルールとは契約だということをしっかりと示し、また「ルールを守る気がない」という、心、姿勢のあり方に対しては、「4つのステップ」の何が誰々さんを守らせようとしていないのかを確認しなければいけません。

まとめ

今回は、食品衛生においてあまり言われることのない「ルール」についてのお話をさせていただきました。
特に重要なのは、「ルールの4ステップ」です。
なぜなら、ルールが守られていない、思うようにルールが機能していない、という場合、この4つのステップのいずれかでしくじっていることが多いからです。

 

ルールの遵守の4ステップ
  1. 認知
  2. 理解
  3. 容認
  4. 共有

 

これらをよく理解した上で、衛生管理のルール策定と施行に向かうことをお勧めいたします。

以上、このように、このブログでは食品衛生の最新情報や知識は勿論、その世界で長年生きてきた身だから知っている業界の裏側についてもお話しています。
明日のこの国の食品衛生のために、この身が少しでも役に立てれば幸いです。

 

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